もっと何もない場所へ行きたい

自然と都会の融合が魅力のケロウナ。

1ヶ月ほど滞在したところで、自分にとってケロウナが都会すぎることを、

私は知ってしまったようだ。

 

ケロウナへきた当初は、美しい湖と広大な山々、そして新鮮な野菜と果物たちがやたらと目に付いて、とにかく自然が豊かな場所だという印象だった。

もちろんそれも事実。

実際にとても穏やかな時間が流れ優しい空間が広がっている。

自然が多いという点では、東京に比べたら断然好きだし住みよい。

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だがそれと同時に、都会志向な側面も持ち合わせているのがケロウナ。

スーパーもファストフード店もそれなりに点在しているし、お酒が飲めるPUBやレストランもたくさんある。

私の生活に関してだけ言えば、東京で暮らしているのと違うのはコンビニがないことくらいだ。

ホームステイ先から徒歩圏内にケロウナで最も大きなショッピングモールがあるし、バスで15分でダウンタウンへも行けるから。

全然不自由しない。

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ケロウナのそう言った部分をたくさん知り、

学生時代の気分で友達と一緒に時間を過ごすようになり、

日々の小さな選択の積み重ねで、

私の中に"都会的要素"が徐々に溜まっていった。

 

おそらくそれが顔を出して、心と体に小さな違和感を生じさせたんだ。

100%自分らしく生きられていない感覚。

どこかボタンをかけ違っていて居心地が悪い感覚。

 

 

ヨガの哲学書に、このような一節がある。

「 心に不動の状態(=常に穏やかな状態)をもたらすためには、

  いついかなる時も、修習に常時携わっていなければいけない。 」

「 忍耐 と 献身 と 信念 が必要である。」

 

一方でこんな一節も。

「 われわれはそれほど簡単に何もかも捨て去ることはできない。 

  心の"思い"も、心を納得させるために少しずつ処分する必要がある。 」

「 すでに経験してしまった楽しみ事について、執着を捨てようとしても

  その記憶は残存印象として残っており、簡単に消せるものではない。 」

 

 

お酒を飲むこと。

ファストフードを食べること。

甘いお菓子を食べること。

 

簡単に手に入る場所にあると、つい手を出してしまう時がまだまだある。

自分にとって必要のないものだ、悪い影響を与えるかもしれない、と頭で理解していたとしても。

 

今この土地で一気に色々なことを得ようとしていたから、

根本にある"暮らし"の修習を怠ってしまっていたようだー。

 

人が持てる量は決まっていると分かっているつもりでも、

まだまだ人に合わせたり流されたり、

はたまた欲張ったり無理をしすぎたりしてしまうんだなー。

 

これらへの執着はかなり無くなってきたけれど、

これらが楽しかったという記憶は、まだ持っているからかー。

 

 

そうやって、自分の心の動きを理解して納得することが出来たら、

途端にチグハグしていた感覚がぴったりと型にはまった。

 

私が目指す場所へ行くためには、目指す人となるためには、

もっと集中しなければならないことも分かった。

 

とは言え、人はそう簡単に変われないということも事実。

環境が人を作るということも事実であると信じている私は、

ケロウナには不要なものが溢れすぎていることにも気が付いた。

 

無意識のうちに外部から受け取ってしまう"不要なもの"。

それが一番厄介だと感じる。

 

 

だからね、

私にとって必要なものしかない場所へ行きたいんだ。

 

もっと、何もないところ。

もっと、自然しかないところ。

 

いわゆる悟りを開く人たちが、山に籠る理由がだんだんと分かってきた気がする…。