草を刈って想うことは。

初めて草刈りをした。


人の暮らしと、植物の暮らし。

住みよさへの有り難みと、雑草を悪者にすることへの違和感。


一見矛盾するようなこの感覚を自分の肌で感じられる経験は、宝でしかない。

 

 

職場の方が草刈りするというので、私もやりたーいと付いて行った♩

草刈機の使い方を教えてもらっていざヽ(*´∀`)ノ

 

………めっちゃ大変( ゚д゚)

うへー腕がー( ゚д゚)おーもーいー( ゚д゚)

明日は確実に筋肉痛だ。



私の暮らす場所は高齢化が進んでいる地域だけど、

地域の方々がみんなで協力して草刈りや掃除なんかをしてくれていて、

そのお陰で住みよくなっている。


かなりの重労働だし、もっと暑い日なんてすごく大変だなぁ。

 

 

ずっしりと、有り難みを感じる。

 

有り難みを感じると幸せな気持ちになる。

幸せを感じると誰かにあげたくなる。

あげた先で有り難みを感じてくれる。

幸せな気持ちになってくれる。

また誰かにあげてくれる。

 

…うん、いい循環である。

 

 

大きな音が苦手だから、

「草刈り機ちょっと怖いなぁ」

と思っていたけど、自分でやる分には全然大丈夫だった。

 

掃除機かける時と一緒。

無心に近い状態になれるから、音が入ってこないんだきっと。

 

 

さて無心とは。

心が無いということではなくて、

心を亡くすことでもなくて、

心の動きが無いということ。

つまり、私利私欲やエゴが働かないということ。

ヨガでいうところのチッタ・ブリッティ・ニローダハ。

 

草刈り中は、完全な無心にはなれないけど、それに近い状態で草と対峙出来る。

すると草の姿が見えてくる。

 

『この子たちと共生するとはどういうことだろうか―。』

 

ひとまとめに雑草と呼び、悪者扱いをして、頑張って生きているところを邪魔している。

私の目に映る現実はこれだ。

 

良い悪いとかでもなくて、

正解不正解とかでもなくて、

私にとっては違和感があること。

 

東京で生活していた時には、

知識として入ってきても体感はできなかった。

 

「雑草という名の草はない。」

昭和天皇がおっしゃったという、この言葉が身に沁みる。

 

刈られたお花を少しだけ持ち帰って飾った。

お料理がもっと楽しくなる。

 

無意識にお花だけ持ち帰ってしまったけど、

「あれ…?草たちも同じだよな。同じ生命だよな。」

ということに後から気付く。

見目の美しさにだけ、心が動いてしまった。

 

これから畑デビューしたりお花と暮らしたりしたいから、

教えてもらいながら、きちんと植物と向き合っていきたい。

 

"共生"に対する自分なりの答えを見つけるために。

 

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