「頼りになる人」=「強い人」ではない

隠岐へ引越して4ヶ月。
気の置けない友人の存在に、感謝が止まない日々。
 
それぞれがそれぞれのやりたいこと・出来ることをやっているけれど、
私の中ではみんな"仲間"だなって勝手に思ってる。
 
勝手に思ってるんだけど、その実感があるだけで心の持ちようが全然違う。
仲間がいると、人ってどんどん強くなれる。
強くなれると、自然体の自分でいられる。
 
「 自然体の自分って、only oneなんだ。 」
当たり前のように分かっているつもりだったそれを、
みんなと一緒にいることで猛烈に感じられたからびっくりした。
 
「あみちゃんみたいな人に今まで会ったことない」
「あみちゃんは、あみちゃんだよね。
もしも、あみちゃんみたいな人に出会ったらあみちゃん2号だわ。
「あみちゃんと普通に会話しようとしちゃだめだよ。(変だから。笑)」
って言われてね。
 
『へーそうなんだぁ!』
って、なんだかすごく嬉しかった。
 
 
 
幼い頃、どうやら自分の声は平均より高いらしい…と気が付いたタイミングで、
「ぶりっこ」だと思われないように言動を気をつけなきゃって思うようになった。
 
記憶の限り、自分が実際に言われたことはないと思うんだけど、
誰かが誰かに「ぶりっこ」と言われているのを聞いて、
自分は周りから「ぶりっこ」って思われないようにしなきゃ…。って。
 
しっかり者で頼りになる、かっこいい姉御肌的存在でいたかった。
自分を偽って、自分のキャパを超えて頑張り過ぎて、痛めつけてた。
 
地声が嫌いで、歌声の方がまだ好きだったから、
歌うことがどんどん好きになったのかもしれない。
 
 
今は、自分の声が好き。
誰にも似てない自分のことが好き。
 
自然体の私を受け入れてくれるみんなといる時間が大好き。
みんなが大好き。
 
f:id:ammmi:20170728102543j:image
 
「頼りになる人」が強いんじゃない。
「頼り頼られ支え合える人」が強いのだ。
 
木々が森の中で支え合いながら生きている、それと同じだ。
 
相手を通して、自分のことを更に深く見つめる。
その繰り返しで強くなっていく。
日常の中で実感として深く落とし込まれていく感覚が心地いい。